2012.05.08
展示のいろいろ







アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue http://www.2121designsight.jp/program/visual_dialogue/
生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1545.html
幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界 http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1540.html
フェリーチェ・ベアトの東洋 http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1538.html
下田ひかり個展 この星の子ども http://www.vanilla-gallery.com/archives/2012/20120326.html
Glamorous Futurist http://www.diesel.co.jp/art/concept.html
「カルルとふしぎな塔 ~寺田順三の世界~」展 http://www.parco-art.com/web/logos/exhibition.php?id=479
最近鑑賞してきていつか書こうと思いながらメモにしないままだいぶ溜めてしまった展示リスト。気が向いたら記事におこします。チェン・マンの展示はフライヤーから予想していたよりもエロティックだった。寺田順三の絵はなんとなく知っていたのだが、いざ展示に赴いてぬいぐるみを触ってみたら、もふもふしていて、とてもかわいかった。やわらかくてかわいい絵柄と無機質的でアールデコ調なデザインの組み合わせは、おとなしいようでいて独特だと思いました。デジタルで出力されているとは思えないほど、古いインクと紙の質感が模様として丁寧に出ていた。アニメもそのうち鑑賞してみたいです。
2012.04.23
街のこと
子供の頃からつづけてよく見る夢の風景がある。外国製の色とりどりの生活雑貨がならんだ店のなかを走り抜ける、青銅色をしたアールヌーヴォー風の螺旋階段を駆け上がって本屋に向かう、妹と一緒に大きな電波塔からのびる送電線につかまる。自分のいる場所を仰ぐとかならず、どこかから白い大きな尖塔がそびえ立っているのが見えるから、きっと、わたしはいつも同じ街にいる。街にはときどき巨人の足がおりてきて、通りをふつうの人々と一緒に進んでゆく。巨人が歩くときだけ、街の色彩はセピア色にかわって、人々の動きはとてもゆるやかになる。わたしはだいたいどこかに向かう途中で、その街に入り込むことが多い。最近みた夢では、わたしは海の近いぽっつりとした通りを歩いている途中に小さな掘っ建て小屋をみつけて、そのなかに入り、なにやらしばらく時間を過ごしたあとでふたたび扉を開けると、その街の雑貨屋の風景が目の前にひらいていた。鮮やかで、つるつると滑らかで柔らかく弾力のある、バスボムやゼリーなどのものがたくさん置いてあった。照明がとてもまぶしかったので、収縮するように階を走り抜けていた。
夢ではよく街の中を歩くのですが、ひとたび現実に戻るとそれがうまくいきません。昔から地図が上手に読めなくて、駅を降りて10分程度で着ける場所でも1時間も迷ってしまうことがよくあります。恵比寿駅のまえでうろたえる。表参道に行きたくて何故か代官山を歩く。銀座の大通りに並ぶ看板たちの名前が霞み始めてすべてが長方形の羅列に見える。建物に入ったときと出るときの景色のイメージが違いすぎて自分がどこから来たのか見失ったり、迷うのが怖くてあまり出歩かないことが多いけれど、先日、家の近くで写真を撮ろうとおもってぶらぶらとあてもなく散策したときは楽しかったです。犬と子供がたくさんいた。
2012.04.18
theaceae
2012.04.15
EXO-K / EXO-M : MAMA (2012)
![Mama [Ep]](http://yuqix.com/uterus/wp-content/uploads/2012/04/Mama-Ep-150x150.png)
すこし韓国製のポップスに探りを入れ始めたころ、youtubeのトップページで「WHAT IS LOVE」を目にした。翡翠のような、淡い緑色をしたトーンの映像がゆっくりと流れ、穏やかで暖かみのある力強いパーカッションが響いてくる。作曲はBlackstreet等の活動で有名なTeddy Riley氏。精巧にとろける和音は、彼の持ち味として今もここで生きていた。
楽曲には、韓国語と中国語で歌いあげたものが二通り存在する。ソウルフルで叙情的な声音のなかにおっとりとくぐもるようなハングルと、シンセと相性の良いフラットな歌唱に乗るしなやかですっきりとした力強さのあるマンダリン。語の感触や抑揚によって、それぞれの楽曲に異なった風景が見えてくる。
アルバムジャケットはミニマルでシンプルな装幀、ファッションはカジュアルなもので統一されていた。逆に、00年代風のラテン調R&Bからピアノバラード、エレクトロ系ヒップホップなど多様なトラックの歌詞には、女神・機械・平行線上の世界・神話・宇宙・月食などの幻想的なモチーフを封じ込めた歌詞が展開していく。
柔らかく日常的な清潔感のあるアートワークと、おもたく厳つい非現実的な世界観。陰陽を彷彿とさせるモノトーンの配色。ふたつの月、ふたつの言葉、ふたつの世界。分かたれた対は、どこまで邂逅できるか。
2012.03.27
navel
2012.03.18
イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに
前回gggへ赴いた際にこのイ・ブル展のフライヤーを初めて目にし、そのときにはもう行くことを決めていた。ただ、惹かれていた。展示は彼女の活動遍歴を追いかけるようなかたちで、ライブパフォーマンスに使用された衣装から始まり、インスタレーションや彫刻へと展開する。彼女の作品には、彫刻は特に、グロテスクな中にも優美さやラグジュアリーな要素を湛えたものが多く、そういった部分が魅力的だった。かたく、やわらかく、とろけるように輝くサイボーグ。血液を吸いこんでふくれあがった根のような服。精巧に縫われた鉱石の令嬢たち。落丁していく都市。ここではないどこかを、その先に待つものを追いかけ、掴もうとしていく、その痕跡はあたたかく力強く、かなしかった。
2012.03.14
ロトチェンコ -彗星のごとく、ロシア・アヴァンギャルドの寵児-
ggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)に赴いたのは去年一月の「秀英体100」以来で、二度目である。ロトチェンコ関連の展示を鑑賞したのは庭園美術館での「ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし」に続き、これも二度目である。
展示会場の内装はロトチェンコの作風や色彩を意識したものとなっており(一階 / 地下一階)、同様に英字とカタカナのロゴも直線的で太さのある造りで、作風との調和がはかられている。庭園美術館には様々な部類の作品があったが、今回のgggではロトチェンコのグラフィックデザインと彼の周辺人物の写真が中心に展示されており、本の表紙から広告、クッキーの包装紙まで観ることができた。個人的にはその包装紙のデザインと色づかいが好みだった。彼のデザインにおける飛行機のイラストやコラージュ、ストライプの使い方は絶妙に版画的なかわいらしさを湛えており、そこにマヤコフスキーの力強いコピーが重なる、この組み合わせがとてもよい。展示を鑑賞しながらデザインというものの領域の広さを感じ、それと同時に、詩人がプロパガンダ活動に積極的に加わり商業的なコピーを書き残していく行為へ、どこかあたらしい感慨をおぼえていた。
2012.03.05
YAMAUCHI : 月の出汐(2002)
むかし集めたbounceを眺めていたら、目にとまったので入手した。出汐という言葉の耳慣れなさが印象的だった。雰囲気はNujabesやUyama Hiroto、Nomakなどに近く、「樹海」「空天上」「太陽の呈示」など、ヒップホップとエレクトロニカの融け合うなかに日本的な世界観を際立たせる曲が多かった。2nd「Preferable Reality」、それ以降のmarter名義では次第に英語の歌詞やタイトルが混ざりはじめ、スペーシーで幻想的なエレクトロニカへと変化していったようである。
(YAMAUCHI「Drops of Creation」 / marter「Planet Earth」)
2012.03.03
after the
2012.03.02
ブログのこと
しばらくブログを書くことから遠ざかっていた。三年くらい前からツイッターをはじめて、そちらを使い倒すのに没頭していたからである。はじめた時はブログに書いていたような内容をぽつぽつ書くだけの媒体としてつかっていたが、途中でSNSとして自分から付き合う相手やコミュニティを選びながら使用することにした。
そうすると発信先の相手やコミュニティによって自分の叙述方法やペースが様変わりしていく。それは単純に、相手にわかるように書かないとこちらの意図が通じないからではあるが、常にそういう表層的な部分が変化する様子をおもしろく感じながらツイッターを使用していた。さかんにリプライを飛ばしあうコミュニティ、リプライを飛ばさずにそれとなく話題に反応するコミュニティ、日記のように見せかけた創作文を淡々と投稿していくコミュニティ、ハッシュタグで盛り上がるコミュニティ。圧倒的な即時性を持ち、且つそれを使用する人間のスタンスによって自由自在に変化していく。これはブログやmixiなどの媒体が持ち合わせない大きな特徴だと思う。
それを踏まえた上で、自分が他者へと情報を発信する、コミュニケーションするのにどの媒体が心地よいかと考えると、それはきっとそのどれでもないだろうと考えている。どの媒体を使うにしても心地よいときがあったり、苦しいときがあったりするからだ。しかし無数の媒体のなかからその時々で、自分にとって適切と感じられるものを選びとりながら発信することはできる。媒体を吟味しながら発信していく、そういう過程もなかなか楽しい(というか好き)。
ツイッターを通して、いろいろな分野で動いている人たちと接触するのが楽しい。しかしほんとうにいろいろな人たちがいるので、そのさまざまな中で一個人としてリプライを飛ばしたりすばやく話題に乗りながらやりとりをすることは、自分にとって難しい。ひととおり行なってみたけれど、おそらく失敗したことのほうが多く、それは自分の力不足に因るものだろうと考えています。なにより文章を書くペースが遅くて、考える速度までも遅い。遅い人間が無理をせずに発信していける場所はなんだろうと考えると、ブログかな、と思いました。ですので、おすすめしたいもの見てもらいたいものについてはツイッターで流しますが、これから自分の考えや聴いたもの観たものについての長い話はブログで書くことにします。ブログにyoutube等の動画を埋め込むとページがとても重たくなってしまうので、ツイッターで音楽の動画をツイートしていけるのは便利ですね。というわけで、またどうぞよろしく。










